リングの上で龍人は考えた。
(……なんで、こんなことに?)
考えても答えは出なかった。
男子ボクシング部の一角は仕切りがあり、ロッカールームになっている。
しかしもともと狭い部室にむりやり作ったものなので防音もクソもなく、今も静香が制服を脱ぐ衣ずれの音がはっきりと聞こえてくる。
……静香はいきなり試合を申し込んだかと思うと、サブバッグを片手にロッカールームを占拠してしまったのである。龍人は釈然としないまま、それでも一応はバンテージを巻いていた。
もともとグローブをはめるだけでスパーはできる格好をしていたので、あとは静香が着替え終わるのを待つだけである。
静かな部室に、しゅる……しゅる……と静香が服を脱ぐ音が響いていた。
龍人も思春期真っ盛りの男子である。
見た目はかわいい下級生が薄い壁へだてて生着替えをしていれば、いらぬ妄想をしてしまう……はずだった。
しかし、それ以上にわけのわからない方向へと転がっていく事態に困惑を感じていた。
(なんで――とつぜんやってきた下級生の女の子と、ボクシングをしなきゃいけないんだ?)
遅刻しそうになって走っていると曲がり角で出会いがしらにぶつかってこけた拍子にパンツを見てしまった女の子が実は転校生でさらには“あ、おまえは縞パンツ女!”“ああっ! あ、朝の変態覗き魔!”なんて具合で同じクラスで互いにいがみあいながらもなんとなく気になってなんだかんだで恋に落ちる――といったラブコメ展開並に強引な展開だ。
基材むきだしの天井を仰ぎながら、龍人は嘆息した。
インタージェンダー!
ROUND1 コウハイファイト
2.フェミニストとサディスト
「お待たせしましたぁ」
着替えが終わったらしい。静香が仕切りの向こうから姿を現した。
「……なに、その格好」
「体操着にブルマですけど?
眼鏡ないと、そこまで目悪いんですかぁ」
またも静香がさらりと毒舌を吐く。
いまだ気が進まないものの、龍人はシャツにトレーニングウェア、グローブ着用、眼鏡はなし。スパー用に身を整えていた。
たいして静香はグローブこそ着用しているものの、体育着にブルマ(踏青学園に残る古き良き伝統である)、そしてなぜか黒のニーソックス。あまりボクシングをやる姿には見えない。
「……えっと、榑井、ちゃん?」
「静香でいいですよぅ、先輩」
「じゃあ……静香」
会ったばかりの女子を呼び捨てにするのは気が引けたが、“ちゃん”づけするのもなぜだろうか……気が引ける。
「あのさ。念のため聞いておくけど、ボクシング歴……あるの?」
「むぅ。これ見て下さい。ちゃんとグローブはめられているでしょう?」
ずい、と自前で用意していた赤いグローブを龍人の鼻先に突き出す。
たしかにバンテージをひとりで巻けるのは、多少なりとも経験があるということなのだろうが……。しかし見た感じ、12オンスのグローブは真新しい。買ったばかりのようだ。
「ちゃんと二週間まえにぃ、教本を図書室で借りて勉強しました。
筆記試験は完璧です」
「おい」
「部屋の電灯コード相手にシャドーボクシングも済ませましたぁ。
実技試験もOKです」
「そういうのは“ボクシング歴”とはいわないっ!」
「えー」
かわいらしい仕草で静香が首をかしげた。ポニーテールがふわりと揺れた。
「まあ、だいじょうぶですよぅ」
と、なんの根拠もなく断言する。
「だめだって。他のスポーツ以上にちゃんと基礎練やらないとケガするんだから」
龍人は何度目かのため息をつきながら言った。
すると静香は、
「やさしいんですねぇ、先輩」
なにやら含みのある顔で笑いながら、
「でも、わたしぃ……先輩相手なら勝てる気がするんですよね」
「な……っ?!」
いきなりの暴言に龍人が絶句していると、
「そういえばロッカールームの名札を見て気になったんですけど、先輩の名前――蘭堂、たつ……いえ、りゅう……龍人? っていうんですかぁ?」
唐突に静香は話題を変えた。
「……それが、どうした」
「いやー、なんでしょう。見た目と名前のギャップ、っていうんですかぁ?
先輩ってどう見ても草食系の顔していますし。意外に思ったんで、ちょっと聞いてみたくなっただけです」
くすっ♪ と、さわやかな笑顔で心をえぐってくる。
ぶちぶちぶち……っ!
龍人は頭の奥で何本か血管の切れる音を聞いた気がした。
男子にしては背が低く、ときとして中学生に間違われることもある童顔が龍人のコンプレックスのひとつだった。
「さっきから……見え見えの挑発してるみたいだけど、ぼくがそんな安い――」
「あ。やっと気が付いてくれましたぁ?」
静香は微笑を唇に溜めながら、
「なんだかんだ言って、先輩、勝負から逃げるつもりみたいですから。
これでヤル気が出ましたよねぇ?」
「……!!」
ついに何の衒いもなく堂々と挑発しはじめた下級生を、龍人はにらみつけた。
あいかわらず涼しげな顔で静香は見つめ返してくる。
しばし、時が過ぎる。
「――わかった」
龍人は軽くため息をつき、吐き捨てるように言った。
「ヘッドギア、つけてきなよ」
「あはっ♪ そう来ないとっ」
静香がぴょんと跳ねた。ポニーテールも楽しげに跳ねる。
そして朗らかに言った。
「でも、わたしヘッドギア持ってません。ロッカールームにあるのは汗臭くて嫌ですしぃ」
がくっ。
静かに燃えていた龍人の肩がこけた。
「〜〜〜〜っ! ああ、もうっ!!
きみはっ、ほんとうにっ、ボクシングをやりにきたのかっ?!」
「もちろんですよぅ。
真剣勝負にヘッドギアなんて無用です」
にこにこと言う静香を、龍人は怒りを通り越して呆れた目で見つめる。
(本当に、この娘はボクシングを舐めているのか……)
ヘッドギアをつけずにスパーをやるなんて聞いたこともない。
(でも……まあ、いいか。
もともとぼくも本気でやる気はないしな)
いくらクソ生意気な下級生とはいえ、女子と本気で殴り合いをする気など毛頭なかった。
足を使って彼女の攻撃を避け、疲れて動けなくなるまで逃げるつもりだった。
(女の子の顔を殴るわけにはいかないし。ヘッドギアは……いらないか)
しかたがない。
諦めを超えた悟りの境地で、龍人は言った。
「いいよ。
じゃあ、やろう」
「はいっ♪」
静香の顔がほころんだ。
さきほどまでの皮肉めいたものでも、“委員長”的な余所行きのものでもない。
龍人に初めて見せた、心の底からの笑顔だった。
笑顔の下からのぞく犬歯がやけに尖って見えた。
◇
「あ。そういえばゴングとか、どうしましょうか。
二人だけで進行できるんですかぁ?」
「ん。あー、適当にやろう」
龍人はやる気のない声で、リングの角にかけていたストップウォッチを操作した。
「タイマー設定は3分……ダブルリピートは60秒……と。
アラームが鳴ったらインターバルに1分。2ラウンドで終わり。
いいね?」
「2ラウンドですか。
まぁ……それだけあればぁ、人ひとりくらい簡単に仕留められますねっ♪」
うきうきとした声の静香を無視して、龍人はボタンを押した。カウントを始めたストップウォッチをリングポストにかける。
“しゅっ、しゅっ、しゅっ”などと言ってシャドーをしている静香の方に向き直ると、
「最初に言っておくけど、ぼくは君と殴り合いをやるつもりないから」
「は? ここまで来て、まだそんなことを言ってるんですかぁ」
静香はパンチを出した姿勢のままぴたりと制止すると、首だけくるりと回して半眼で龍人を見た。
「君といつまでも押し問答をしたくなかったからね。
とりあえず付き合いはするけど……ぼくからパンチを出すつもりはないから」
「ふぅん。
先輩って、フェミニストなんですねぇ」
静香はつまらなそうにつぶやく。子供のように浮かれていた雰囲気はどこへやら、部室の扉をノックしたときの無表情に戻っていた。
「あー、あれですか。“女子と本気でボクシングなんかやれるか”ってぇワケですか?
そんなアナクロな――」
「違う」
はっきりと龍人は言った。
さきほどまでの弱腰の態度とはまったく違う、毅然とした口調だった。
仏頂面だった静香はすこし驚いたような目で龍人を見た。
「女子でも男子でも――強いやつは強い」
「……へぇ」
眼鏡を外したせいか。静香の眼は細くなっていた。
切れ長の目におもしろそうな色が浮かんでいる。
「では、なぜ先輩は躊躇してるんですか?
怖いんですかぁ、女子に負けるのが」
「……君はボクシング始めたばかりだろうが。話がぜんぜんちがうよ。
ヘッドギアもつけていない素人の女の子の顔を殴れるわけないだろう」
呆れたように龍人は言った。
「……あはっ」
と、なにかツボだったのか。静香は急に笑い出した。
「あははっ。そういえば、そうですね。あははははっ♪
ようするに、先輩ってぇ、くすくす♪ そういうキャラなんですね、あははっ、可愛い〜♪」
いままでの挑発するようなものではなく、心底楽しそうに笑っている。
龍人も毒を抜かれたように静香を見つめている。
と――
ピピピピピピピピピピ……
タイマーのスイッチを押してから60秒。試合開始を告げるアラームが鳴った。
「あはっ、はっ、は」
お腹をおさえて笑っていた静香の動きが止まった。
「試合開始――ですね」
小さく、しかしよく通る声で、言った。下を向いているので表情は、よく見えない。
「あ――」
“ああ、いつでもかかってきていいよ”。
龍人はそう言うつもりだった。
キュッ――
靴とキャンバスが擦れあう音。
と、同時に静香の姿が消えた。
「っ?!」
いや――。消えてはいない。
目の前に、いきなり、いた。
ヒュ……ンっ!!
赤いグローブが目にも止まらない速さで、顔面に迫っていた。
「ぉ、わっ?!」
龍人はまぬけな声をあげて、身をそらす。
スウェーバックなどという上等なものではない。反射的に上半身がのけぞったのだ。
鼻すれすれを右ストレートが貫く。
「ひゅぅっ♪」
鋭く、楽しげに息を吐きながら、静香は腕を戻しつつ横を通り抜ける。華麗なフットワークにポニーテールが弓なりに揺れて、龍人のむきだしの首を打った。
「っ?! わ、とっ!!」
後ろにひっくり返りそうになりながらも、なんとか踏ん張り、体勢を元に戻す。
眼鏡を外したせいで少しぼやけた視界のなかに、静香の姿を探す。
「あははっ、さすがですねぇ♪」
ぴょんぴょんと忙しなくステップを踏みながら、静香は楽しそうに言った。
「初撃で先輩に鼻血吹かせてやろうと思ったんですけど、そう簡単にはいきませんねっ」
電撃のような一撃だった。
かすった鼻の頭がじんじんと痺れている。ポニーテールが打った首筋が、鞭で打たれたかのようにかすかに熱を持って痛む。
「……っ!」
龍人は両のグローブをあごまで上げて構える。
楽しそうな表情の静香は、右に左に、反復横とびのように小刻みにステップをしている。
「あはは♪ 先輩、ようやく目がマジになりましたねぇ〜?」
「……」
「来ないんですか?
本 当 に、殴りに来ないんですか?」
静香は両腕をぶらぶらと挑発的に振った。
ブルマからすらりとのびた脚は右に左に、細かくリズムを刻んでいる。無駄な動きが多い。多いが……。
(この娘は――)
「じゃあ――遠慮なくぅ、一方的にぃ、思うがままぁ、ボコらせて頂きますっ」
たんッ
(――迅いっ!)
一足で距離を詰められた。
左のジャブ。今度は、よく見えた。
龍人は低いダッキングでかわした。
「ひゅっ! ひゅうんっ!」
静香はうなり声を自分であげながら追撃してくる。
龍人は冷静にフットワークでかわしていく。
(そうだ、焦るんじゃない。足はすごいけど、パンチはまだ、ぎこちない)
自己申告で確か――ボクシング歴2週間?
2週間にしては様になっているが、実戦慣れはしていない。当たり前だが。
「う〜ん。やっぱり、難しいですね」
パンチをかわされ、静香は首をひねった。
(当たるわけない。このまま2R、避けきれる)
静香は反復横とびのようなステップをしながら、ちょっと悩むような顔をして、
「ま、適当にやってみましょう」
ふたたび静香の姿が消えた。
龍人の眼はなんとか体育着姿の残影を捕捉する。ポニーテールが龍の尾のように空になびいて、三角形の軌跡を作る。
細かく飛んでくるパンチをバックステップで回避する。
「ふっ!」
静香はパンチと連動して足を使い、先ほどよりも速い戦速で、距離を詰めてきた。
胸を揺らし、身体ごと飛び込んでくるような勢い。
「――っ!」
いつのまにか龍人はコーナーポストを背負っていた。
静香と体勢を入れ替えようとサイドステップで――
――ずだんッ
右のフックが来た。とっさに左腕でブロックをしたが、12オンスのグローブ越しにも伝わる、確かな衝撃。
(打たれた――)
久々の、感覚。
一瞬、足が止まった。
どむッ!
「――ぐっ?!」
左のアッパーがボディにめりこんだ。苦悶の息が、漏れた。
前のめりになると、静香の身体に軽く身体をあずける形になった。体操着の生地と、やわらかい感触――彼女の体温が伝わってきた。
「あはっ♪」
息が届くほど近い距離で、静香が歓喜の声をあげた。
先輩の腹に突き立てた拳を、ぐりっ、とねじった。
「がっ……」
龍人は喉の奥から小さな悲鳴を漏らしながらも、強引に体勢を替えて、フットワークで距離を取る。
肉体的ダメージ自体は、この際問題ではない。
しかし、腹に刻まれたパンチの痕がちりちりと、ゆるやかに、確実に龍人の全身を焦燥で焼いていく。
(大ぶりのフック、見え見えのアッパー……)
来るのはわかっていた。
しかし、静香のリズムが奔放すぎて、一瞬判断が停止した。
ブロックを崩さんばかりに勢いよく打ちこまれたパンチで足が止まった。
そしてえぐりこむようなボディ。
ブルマ姿の下級生は、たった2撃で、龍人の奥深くに楔を打ち込んでいた。
「あはは――はっ♪」
あいかわらず忙しないステップを続ける静香が、笑い声を洩らした。
興奮したようにぴょんぴょん跳ねている。連動してポニーテールも軽快に揺れる。
動きすぎのせいだろうか。頬が赤く染まり、ほんのりと上気している。
「ははっ……あはははははっははははははははははっ♪」
ついに大声で笑い出した。
びくり、と龍人の全身に緊張が走った。
「あはははははははははっ、思ったとおりだぁっ♪
男の人の肉に打ち込む感触って――すっごい、気持ちいいですっ!」
興奮のあまり、ハッ、ハッ、犬のような息遣いをしている。
静香は熱に浮かされたような瞳で、
「すごいっ! もっと、もっと、もっとぉっ♪」
だんッ!!!
槍のように突っ込んできた。
テクニックもクソもない。フットワークでよけられるはずだった。
――が、体が硬直していて、
どむっ!!
「っ――ぅぅ、くふっ?!」
「ぁはぁぁぁっ♪」
またもボディに静香のグローブが突き刺さった。
単純な突進力による一撃で、龍人の胃が悲鳴をあげる。
体がくの字に折れ曲がる。
「先輩、すっごい表情ぅ……っ♪」
下からのぞきこむような体勢で、うっとりと静香がつぶやいた。
「もっと……もっと素敵な顔、見せて下さい――ねぇっ!」
どぐぅッッ!!!
わき腹をしたたか打たれた。
「っ、ぉぇ……!!」
マウスピースを吐きだしそうになるのを、懸命にこらえる。
「あははははははははっ♪ ほら、どうしたんですかっ♪ 打ち返してもいいんですよぅッ♪
ほらっ! ほら、ほら、ほら、ほらぁっ♪」
どんっ ぼすッ ぐごッ ずだんッ!
「がっ! あぐっ?! ぐっ!! くぁ……ぁぁっ!」
「あははははっ!!! いい声ですよぅ♪ もっと、もっと、啼いてくださいっ♪」
年上の男子の悲鳴と肉を叩く音に、静香は興奮の声をあげる。頬を朱に染めて、ブルマ姿の少女は殴打を続ける。
コンビネーションでも何でもない、ただの乱打。
だが、もはやロープ際においつめられた龍人は、後輩の女子に嫐られつづけるしかない。
汗と血の混じった唾が飛ぶ。静香の上気した肌にかかるが、彼女は気にせず、うっとりとした表情でパンチを繰り出し、グローブに伝わる龍人の肉と骨の感触に恍惚とする。
「はぁ……はぁ……っ。少し、疲れました」
乱打がやんだ。
湿り気のある吐息をもらしながら、静香は汗をぬぐう。
ロープを背負った龍人は亀のように丸まっている。絞りこまれた腹筋は真っ赤な痕が残り、猛攻をなんとかブロックしていた腕もところどころ内出血している。
――ぶるっ。
少女の身体が震えた。やや内股ぎみになった太ももの付け根がじっとりと濡れて、ブルマのナイロン地が肌に張り付いた。
「ハァハァ……あはっ、先輩……顔、見せて下さいよぉ♪」
ぼすっ。
顔面をブロックした龍人の腕を、軽く小突く。
「鼻を潰されると、男の人ってどんな声で啼くか……すっごく、興味あるんですよぅ」
ぼすっ。ぼすっ。ぼすっ。
無手勝流の猛攻でさすがに体力を消耗したのか、パンチに切れはない。乱暴にドアをノックするかのように、静香は龍人の腕を叩く。
「もう、ひきこもってないで……ほら、先輩♪」
ぐぐぐっ……!
焦れた静香はグローブで強引にブロックをこじ開けようとする。
「……手のひらを、使うの……は、反則、だ……」
「ん」
ぱちくりと静香は瞬きをひとつした。
「なんだぁ、ちゃんと意識あったんですね」
「当たり、前だ」
「へぇ、格好いいですね。わたしのパンチなんて何発受けようが関係ないってことですか?」
「……」
龍人は答えない。ブロックの隙間からじっと、静香を見ている。
その目がなんとなく気に入らず静香は、
「……下級生の女子にここまでいいように殴られて、いまさらやせ我慢ですか?
一発ぐらい打ち返すとかしたらどうです? ほ〜ら、無防備ですよぅ〜」
へらへらと踊ってみせた。妙に癇に障る動きだった。
「……」
しかし、龍人は黙ったまま息を整えている。
「ふぅん……」
静香はつまらなそうに鼻を鳴らすと――
(――!!?)
――どむッ!!
ぐぎぃぃぃ……っ!!!
「〜〜っ?!! っ、くぁ……っ!」
「あはっ、いい声♪ 格好つけてるより、こっちの方が断然っ素敵ですよぅ」
予備動作なく問答無用にボディに拳をめり込ませて、静香は微笑んだ。
ぐぐぐぐ……っ。腹筋の感触を味わうかのように、グローブをこじっていく。
「……っ」
打たれ続けたボディを抉られ、内臓にかかる圧力で龍人の口が自然と開いた。口の端から涎が垂れだした。
「先輩、いまどんな顔してるかわかりますかぁ? Hな女の子みたいに喘いじゃって……。あはっ♪ 鏡があったら、見せてあげたいです」
先輩の腹をぐりぐりと痛ぶりながら、ブルマ姿の後輩は艶然と笑っている。
「ぁ、ん――ッ♪ もっとぉ……素敵な顔に、変えてあげますから――ね?」
火照ったような表情の静香が、そっと耳打ちするように言った。
「……っ!!」
龍人の全身が硬くなる。
静香はバックステップし、構える。
そして、ブロックの隙間めがけてねじりこむような右ストレートを――
ピピピピピピピピピピ……
ストップウォッチが鳴った。1R終了の合図である。
「……なんだ。もうこんな時間ですか」
つまらなそうに静香は拳を下ろす。
「――っ、カハッ、はぁ……っ!」
龍人も緊張が解けて、ようやく息を荒げはじめていた。ボディを痛めつづけられ、呼吸するのもつらい。引きつったように酸素を取り込んでいる。
その様子を見て、静香はふふんと得意そうに鼻を鳴らした。
「どうです。これで、わかりましたかぁ?
くすくす……これでも、“女の子の顔は殴れな〜い”なんていうつもりですか?」
あははっ。後輩が楽しげに笑う。
龍人はなにも言い返さない。
ロープにつかまったまま、リングの外にわずかに血の混じった唾液を垂れ流すことしかできなかった。